2008年7月22日火曜日

『証言 沖縄「集団自決」』  -----慶良間諸島で何が起きたか

歴史修正主義者グループが、慶良間諸島で2泊3日という短期間の聞き取り調査をした後、「集団自決」に軍命はなかったと結論付け、あらゆる歴史教科書や出版物の「集団自決」の記述から軍強制を削除させる「沖縄プロジェクト」を立ち上げたそうです。

その結果、「日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民や、集団で「自決」を強いられたものもあった」という表現が、「「集団自決」においこまれたり、日本軍がスパイ容疑で虐殺した一般住民もあった」という表現に変わったりしたということです。誰がその行為を促したかという主語が曖昧にされました。

沖縄に生まれ育った私。現在35歳。

もちろん戦争経験はないけれど、沖縄戦については他都道府県よりも身近に感じていたとは思います。

小学校の遠足で4年生から6年生の3年間、糸満市の平和記念公園で、当時戦争体験をしたという60代の先生が毎年沖縄戦について語って下さいました。
その頃は、暑い中でどうしてこんな話を聞かなきゃいけないんだろうという気持ちが強くて、「沖縄戦でこんなにも苦しんだ人がいる」という認識はあまりなかったように思います。

もっと沖縄戦について重大に受止めている人もいるかもしれませんが、私のような考えを持つ沖縄の30代も多いのではないでしょうか。
それだけ、戦争という意識は若者にはピンと来ないものだと思います。

沖縄戦を知っているはずのおじい・おばあはいつでも明るいし、アメリカー(米軍)は優しかったよぉと話すこともよくあるので、一方で思い出したくも無いほど苦しい経験をしてきたとは、なかなか及びませんでした。沖縄出身の私がこの程度なのだから、それ以外の戦争を知らない世代はもっと縁遠いものに感じるのではないでしょうか。

5年ほど前だったか、TVで沖縄戦を経験したお年寄りの語りを中心に構成された番組が沖縄で放送されました。

「戦争の記憶はあまりにも辛すぎて語りたくない」という人がほとんどでした。記憶を思い出して一言発するたびに言葉に詰まったり、途中で話をやめてしまう人もいました。

戦時中、沖縄の人にとって敵は米軍だけではなく日本軍も含まれていたのです。
「米軍に捕虜になったら女は強姦された後殺される、男は戦車にひかれて殺される」という概念を植えつけられ、敵が上陸したら自決するようにと手榴弾を与えられたとのことです。
そればかりか、「玉砕場」という場所があり、住民をそこへ集団で非難させて自決をせまるということもされたと語っています。
一家族が一塊となって手榴弾を使って自決する。それでも死ねないときはなたなどを使って、お互いで殺しあう。

そんな記憶を語りたくないのは当然ですよね。

もう60年以上前のことになってしまっても、薄れる記憶とそうでない記憶があると思います。

沖縄で「県民大会」が行われ、県外メディアが「集団自決」の問題を報道し始めたのは2007年以降のことなんだそうです。
なぜ沖縄の人がこれほど怒り声を上げているのかということよりも、沖縄で「騒動」が起きているということ中心の報道だったといいます。

私自身がおばあから戦争体験を聞いてみたいと思うようになったのも最近、予想以上の悲惨さを知ったのも最近、なさけない限りです。

自分の手で家族を殺してしまった人もいるし、目の前で家族や大切な人を失った人もいるでしょう。その人たちは、辛い記憶を避けて一生懸命生きてきたのです。
その方たちは今、高齢になってきています。つまり、その人たちが伝えなければ実体験を知る人がだんだんいなくなってしまいます。

積極的に語って欲しいとは思いません。
本を読んでいるだけで私もかなり苦しかった。
私の苦しみなんて所詮小さなものなんだと思います。

ただ、その人たちの苦しい記憶を抹殺してしまうようなことだけはやめて欲しいと思います。

日本軍が憎いという気持ちではなく、戦争ではみんなが異常な状態になってしまうのだという恐ろしさを伝えることが政府の役割だと思います。

拙い文章になってしまいましたが、久しぶりに行った図書館で見つけた本の内容を多くの人にも知って欲しいなぁという気持ちで日記に書いてみました。