2008年2月10日日曜日

『この子がいる、しあわせーわが子の障害を抱きしめて』 松兼 功

障害児を持つ女性4人に、作者が話を聞いてまとめた本。

作者自身も、脳性小児麻痺で「アテトーゼ型四肢麻痺」を持つ重度の障害を抱えた方で、1983年、麻痺のある四肢は使えないため鼻先でワープロを打って執筆活動を始められたそうです。

この本を読んでみようと思ったきっかけは、チビ助の自我が芽生えてきて「これは成長の過程」と思いつつもチビにイライラする機会が増えてきたから。
「障害児を持つ母親はどんなふうにがんばっているんだろう」という興味本位な理由からでした


「わが子に障害がないからかわいい」わけではないけれど、やはり障害がない方が幸せかも知れないと思っていました。
本文に出来くる女性たちの話を聞いて、そんな単純な話ではないなぁと改めて自分の未熟さを思い知らされた一冊でした。

自閉症を持つ母親の話しのなかで、ある児童学園に入ったとき、園長さんが、一日自分の子以外の子の面倒をみる日というのを作ったそうです。
そのなかで母親が感じたことは、「人の子だと待てるんですよね。自分の子供だとどうしてもイライラしてしまう。」ということでした。
確かに、急いでても急いでなくても、「早く食べてしまいなさい」とか「早く着替えなさい」とか「早く寝なさい」とか、ついついあせって結果イライラしてしまうこと多いんですよね。
他の子がのんびり何をしていても、ほほえましく見てたりするのに(笑)
そういう発想の転換で、自分のイライラする気持ちを切り替えることが出来るんだと、どうしてこんな簡単な事に今まで気づかなかったのかしらという思いがしました。

人生は何が起こるかわからないし、もしかしたら障害を抱えた子の母親になるかもしれない。その可能性が否定できないこと、そして、私がそんな立場に置かれたときに、どんなふうにもがきながら日常を過ごすことが出来るだろうと考えました。

本に出てくる女性たちは、「前向きにあきらめる」ことをしてきたと作者は書いています。つまり、障害をないものとして「普通の子」に近づける努力をしてきたけど、それはこの子にとって苦痛である場合が多く、ありのままのわが子を受止めていることにはなっていない、ということらしいです。
歩けない障害があった場合、厳しい訓練を続ければいつか歩けるようになるかも知れないと母親はがんばるけれど、その訓練が子供にとっては苦痛で成果もそれほどない場合、親の自己満足以外何者でもない等。それならば、その訓練をやめて、親子とも生き生きするもしくは楽しくなることをやった方がいいのではないかという境地に達するそうです。
もちろんその境地に達するには何年もかかっていますが、自分だったらそんな気持ちになれるかしらと「尊敬」という言葉が浮かびました。

当事者にならない限り深いところで彼女たちの気持ちを理解することは出来ないだろうし、人はそれぞれの人生背景を踏まえて感じたり行動したりするから、全く同じ気持ちを共有することは出来ないと思うけれど、それぞれの母親の経験を読んで、私ももっと力を抜いてチビと向き合って行きたいと思いました。


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