2007年12月19日水曜日

『看護婦は家族の代わりにはなれない』 宮内美沙子

「当たり前じゃない」と思いながら、さてさてどんなことを書いているのやらと読んでみました。

この本は1997年に出版されたものです。著者は1946年生まれ。
このエッセイを書いたのは50歳くらい。
「看護婦」とされていますが、現在は「看護師」です。

筆者はHIV感染病棟で働いている看護師。
家族のサポートが患者の救いになるのだと、要するに言いたいのでしょう。

HIVに感染するとは、薬剤投与などの医療行為からのもの、性交渉からのものに分けられると思います。

医療行為からのものでない場合、ご主人が海外などで現地の女性と性交渉を交わした結果であることが多いらしく、妻は裏切られたと悲劇のヒロインになることもある、、と。

はたまた、患者が同性愛者である場合、家族が世間体を気にして患者を恥じてお見舞いに来ないことがあるそうです。それどころか、「死んだら連絡してくれ」的なことを言う人もいるとか。

そのことに関して、家族ってなんだろう?夫婦ってなんだろう?と著者は問いかけています。
困難な状況を受け入れて、それでも側にいてやるのが家族じゃないか。ということらしいです。

私が思うに、彼氏彼女だって、夫婦になったって、育ってきた環境の違いから、どんなに長い間一緒にいても「へぇ、こんなこと思うんだ」という驚き・発見が常にあると思うんですよね。
そういうことを積み重ねてお互いの関係を築いていくのが家族かなぁと最近漠然と思います。
つまり、その背景もよく知らない、ましてや一緒に生活したわけでもない第3者が容易に語れるほど「家族」の形は一定ではないと思うんですよね。
だから、著者が「この家族関係は希薄だ・軽薄だ」と感じて不快感を文章化するのは、やや傲慢ではないかと。。。。

まぁまぁ、看護師事情を語りつつなので、内容自体を否定するつもりはありませんが、自分の考えが正しくて、そこから逸脱するものに対しては不快を感じる、、、的な内容が多い気がしました。

あとがきに、
本書のエッセイのどれか一つでも、読者の皆さんの気分をほんの少しでもなごませ、生きる元気にしてくださるなら、私にとってそれにまさる喜びはありません。
と、書かれていました。

私ってひねくれものなのかしらと、あとがきを読むにつけ思う次第です(笑)


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